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コミュニティの草の根運動が敬老売却反対運動を展開していく歩みの年表

池田啓子 心理学博士

1969年: 敬老ナーシングホームがリンカーンハイツに87床の施設を開業する。

1974年: 南敬老ナーシングホームがリンカーンハイツに97床の施設を開業する。

1975年: 敬老引退者ホームがボイルハイツに105室の施設を開業する。

1976年: 敬老中間看護施設がボイルハイツに96床の施設を開業する。

1981年: サウスベイ敬老ナーシングホームがガーデナに98床の施設を開業する。

1985 年: 日系アメリカ人社会が所有・運営していたシティ・ビュー病院が売却され、閉院する。

1990年代: リンカーンハイツの敬老ナーシングホームと南敬老ナーシングホームが合併し、現在の場所に新しく300床の施設として生まれ変わる。敬老を支えるための基金集めが始まる。

2013年: 敬老の運営側が羅府新報に、日系アメリカ人社会の人口統計上の変化・寄付や贈与の減少・予想される政府の長期健康保険からの返戻金の不足を発表する。敬老は、施設運営を続けるのが困難になる理由として挙げた予想される財政危機について、3回に亘って羅府新報で論じている。

2013年12月: 敬老の運営側が医師たちに施設売却の意向を伝える会合を開く。会合に参加した医師はわずか2名のみ。敬老の理事会には日系社会の賛同を得ずに施設を売却する権利があるかどうか、質問が出る。ショーン・ミヤケ最高執行責任者(CEO)は、司法長官が売却を認可すれば問題ないと応じる。敬老側の主張する、予想される財政上の危機を実証するために財務関連の情報公開が要請されるが、ミヤケCEOに「複雑すぎて応じられない」と却下される。

敬老が4施設の運営を肩代わりしてくれる大規模な健康管理団体を探す意向であることを告げるために、中間看護施設とナーシングホームの居住者・その家族に向けて非公開の会合が開かれる。意思決定についての開かれた討論は行われず、部外者の参加は歓迎されない。

2014年前半:  羅府新報の記事に、コミュニティの個人や入居者家族からの売却に反対する兆しが現れる。

2014年7月: 敬老はエンザイン社への売却を公表するが、2014年9月にカリフォルニア州の司法局が敬老とエンザインとの売却契約を認可せず。司法局は否認の理由について明らかにしていない。売却の中止は、コミュニティの多くの人たちを安堵させたが、つかの間に過ぎなかった。

2015年2月19日: 敬老が不動産会社パシフィカ社と施設売買契約を締結する。

2015年6月:  敬老がパシフィカ社への売却を公表し、司法局が売却の提案を審査中であると発表する。売却案の中で、敬老施設が二つに分けて運営され、2ヵ所のナーシングホームと中間看護施設はアスペン社が、引退者ホームはノーススター社がそれぞれ管理運営を行うことが示される。

2015年6月26日:  一般の人々に対して、2015年6月26日までに司法局ロサンゼルス支部のウェンディ・ホロビッツ司法長官補佐官宛に書面で意見申し立てを行うよう、急な告知がされる。一般からの意見公募の告知は、告知の方法が限定的だったことと申し立ての期限が短かったことから、コミュニティに広く届かなかった。司法長官は公聴会を免除する。

2015年8月30日:  日系コミュニティの4人が日曜日の暑い午後、日米文化会館の中庭に集まり、敬老売却に抗議する方法と売却をどう差し止めるか、について協議する。集まったのは、モー西田・チャールズ井川政治学博士・デビッド渡辺・池田啓子心理学博士。協議は、日系アメリカ人社会のリーダーシップが欠如していることから、運動を組織化する必要性に焦点が当てられる。

2015年9月2日: 司法局が条件付で敬老にパシフィカ社への売却を許可する。

2015年9月29日: 敬老を守る会特別委員会 (以後特別委員会と表記) が、ロサンゼルスのセンテナリメソジスト合同教会で最初の地域集会を開く。この集会には150人以上の事態を懸念するコミュニティの人々が参加し、特別委員会は、ここで急速に会員参加者を増やす。パネリストは、安井正子・松元健医師・池田啓子心理学博士・ロナルド重松医師らで、売却が成立した場合に居住者にふりかかる苦難について話す。司会はマーク中川牧師、日本語での通訳は委員長のチャールズ井川博士が行う。2種類の請願書が用意され、参加者は圧倒的な賛同を表しながら署名する。第1の請願書はカマラ・ハリス司法長官に対して売却の差し止めを要請し、2番目の請願書は敬老側に対して情報公開―理事会での議事録・売却を推奨する独立機関による調査報告書・売却に関連する総ての財務関係の資料の公開―を要請している。

若手記者、中西奈緒・中地美亜モニエらによる徹底的な羅府新報の取材記事は、より広い日系アメリカ社会に情報を行き渡らせる。

2015年10月11日: 第1弾となる300人分の署名済み請願書がジョナサン加地の手でロサンゼルスの司法局支局に運ばれた。

2015年10月15日: 特別委員会主催の集会の2日後、施設売却の決断を説明するために敬老がロサンゼルスの西本願寺で会合を開く。ショーン・ミヤケ、ゲリー・カワグチ他の理事たち、アスペン、ノーススター関係者らは売却反対を意思表示する赤いタスキを着けた500人を超える聴衆に対面する。西本願寺の体育館は、後方で立っている多くの人たちも含め、満席。さらに参加者の一部は、敬老側が参加者に限られた時間しか話させないようにして議事進行を統制することへの不満を表す野次を飛ばしたり、叫んだりしていた。多数の敬老入居者や職員がこの集会に参加。松元健・入江健二・池田啓子ら医療関係者の発言や、特別委員会のスポークスマン、ジョナサン加地の発言は、聴衆から圧倒的な拍手を受ける。日本語と英語のメディアはこの会合の一部始終を取材し、終了後にさまざまなコミュニティの人たちにインタビューを行う。

2015年10月29日:  特別委員会の4人の委員、半田俊夫・チャールズ井川博士・入江健二医師・池田啓子博士らが日本国領事館のハリー堀之内総領事と面会する。売却が敬老在住の大部分を占める日本語しか話せない居住者に及ぼす影響について話し合われた。居住者の多くが日本国籍を持ち、万一売却が成就すれば移住できるような代替施設がないことなどが説明される。

2015年10月: 特別委員会のメンバーによる外部への働きかけの努力が実り、さまざまな団体から支援の申し出が増加する。地域の政治家たちへも連絡がとられ、ジュディー・チュウ連邦下院議員やマキシン・ウォータース連邦下院議員らは特別委員会を支えるのに重要な役割を果たす。

2015年11月4日: チュウ連邦下議は、率先してカリフォルニア州議会の議員らに働きかけて、司法長官に敬老のパシフィカ社への施設売却に関して公聴会を開くよう要請する。手紙には国会議員ら16名の署名が入っている。翌日付の司法局からの返書には、この件を再審議することは法的に不可能である旨が記されていた。

2015年11月12日: 日系社会でよく知られた建築家で敬老理事会の理事でもある高瀬隼彦が理事の座を降り、羅府新報に率直にその決断を語る。

2015年11月16日: 約4,600名分の署名が敬老最高執行責任者ショーン・ミヤケに特別委員会の委員から届けられる。

2015年11月23日: 最初のタウンホール集会がロサンゼルスのアラタニ劇場で開催される。ゲスト講演者らは、ジュディー・チュウ連邦下議・マキシン・ウォータース連邦下議・デビッド・ハドレー州議ら。特別委員会の講演者らは、ジョナサン加地・松元健医師・入江健二医師らで、司会は委員長のチャールズ井川博士。通訳が500人を越える激励を続けるコミュニティの聴衆に提供される。委員会を代表して井川博士が閉会の挨拶をし、敬老のショーン・ミヤケ最高執行責任者と理事たちの辞任を求める。

2015年11月24日: 特別委員会の8人の委員たちが司法局ロサンゼルス支局で、4人の司法局の代理人らと面会する。特別委員会側は独自の調査結果を報告し、敬老が司法局に提出した公聴会免除申請に関する誤った情報について重大な疑問を提示する。特別委員会は、公聴会を免除するに当たって調査をしなかった司法局の手落ちについて指摘。マキシン・ウォータース連邦下議も、この会合に参加する。司法局側は翌週までに特別委員会に対して公式な回答を出すことに同意。特別委員会からの度重なる催促にも拘らず、司法局からの回答は、3ヵ月後まで寄せられなかった。

2015年12月23日:  マキシン・ウォータース連邦下議が特別委員会専任の議員助手を任命。同下議は公益無料奉仕の弁護士サービスをベット・ゼディック、ギブソン・ダン・クラッチャー法律事務所とロサンゼルス法律扶助財団(Legal Aid Foundation of Los Angeles)から手配して差し向ける。

2016年1月:  4人の敬老施設居住者が州の公正雇用住宅局 (State Department of Fair Employment and Housing)に対して障がい者に対する違反と人権侵害に対して苦情を申し立てる。

2016年1月14日: マキシン・ウォータース連邦下議とジュディー・チュウ連邦下議がガーデナのファースト・サザン・バプティスト教会で特別委員会の運動を支持し、最新情報について報告するために公開記者会見を開く。ジョージ・ナカノ元州議員もスピーチをする。ウォーレン・フルタニ元州議員も、参加席から特別委員会の取り組みを支持すると表明。テレビ放映されたニュースは、ロサンゼルス全域に敬老の日系アメリカ人居住者の苦境を広く知らしめる。

2016年1月21-29日:  敬老の売却延期を話し合う調停が始まる。公正雇用住宅局は、特別委員会・敬老・パシフィカ・司法局の代表者らとそれぞれの弁護士らとの間で調停を進める。時間を延長して行われた話し合いは妥協点を見出せず、特別委員会の弁護士らは2016年2月4日にエスクローが閉じるのを一時的に差し止める決定を求めて裁判所に提訴する。

2016年1月23日:  特別委員会は、コミュニティの『声を聞く会』をロサンゼルスのセンテナリメソジスト合同教会で開く。コミュニティの人々は、売買の延期について、自分の意見を日本語で発表する機会を持つ。発表された意見は総て記録され、敬老の運営側と司法局に送られた。ジョナサン加地の尽力で、ノーマン・ミネタ元米国運輸局長官が来場し、売却反対運動への支援をする。ウォーレン・フルタニ元州議も運動への支持を表明し、カリフォルニア州下院アジア太平洋系立法政策委員会(California Assembly Asian and Pacific Islander Legislative Caucus以後APIと表記)の是認を取り付ける。API所属の9人は、ハリス司法長官宛に、公聴会が開かれるまで売買の延期を要請する公式な手紙に署名している。約200名がこの会に参加した。

2016年1月28日:  日系コミュニティ活動家のモー西田に率いられ、敬老を守る会の抗議のデモ行進はリトル東京を出発し、司法局ロサンゼルス支局があるレーガン・ビルで行動を終える。抗議行動は平和的に行われ、この草の根運動の特徴ともなる赤いタスキを身に着けた高齢者らが参加者の大半を占めていた。司法局の代表者タニア・イバネスに、司法長官カマラ・ハリス宛の未渡し分の署名済み請願書が手渡された。集まった署名済みの請願書は17,000名分で、驚くほど多くのコミュニティの人々が特別委員会の活動に賛同したことを示している。ガーデナ市議会は、全会一致で敬老売却反対を議決した。他の草の根運動からの支援では、チャイナタウン自治会から公平な開発を求める決議案が発せられる。

2016年1月29日:  ロサンゼルス郡指導官のヒルダ・ソリスは、売却が延期され、公聴会が開かれるべきであるという趣旨の手紙をカマラ・ハリス司法長官に送る。ソリス指導官は、元米国労働局長官。

2016年2月4日:  特別委員会は、ベット・ゼディック、ギブソン・ダン・クラッチャーの弁護士らを代理人としてロサンゼルス高等裁判所にエスクローが閉じるのを一時的に差し止める命令(TRO)発令を求めて訴えを起こす。同時に、公正雇用住宅局は敬老居住者からの障がい者差別と人権侵害の申し立てを理由にTRO発令を求めて訴える。ベット・ゼディック、ギブソン・ダン・クラッチャーの弁護団は、職務執行令状―行政機関に対して過去の過ちの是正を要求する発令―この場合は司法局―を求めて提訴する。判事は両方のTROを退け、コミュニティはその決定に呆然自失する。

2016年2月5日:  売却のエスクローが閉じ、所有権は敬老シニアヘルスケアからパシフィカ社へ移った。コミュニティは、日系アメリカ人社会で55年間に亘って数え切れないほどの日米の個人・団体の助力の下で築き上げられた一番重要な機関を失ったことに悲嘆にくれる。特別委員会は『高齢者を守る会(和名仮称)(Koreisha Senior Care and Advocacy)』として、非営利団体へ組織替えの過渡期にある。かつての敬老で提供されていたような質の高い高齢者ケア施設を再び取り戻せるよう、闘いを続けていくことを誓約する。『高齢者を守る会』は、居住者と彼らに何年もの間献身的に尽くしてきた職員たち―それが敬老をコミュニティの中で特別な存在としてきた―の福利を擁護し続けてゆく。


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